CEO
HISTORY

吉田 雅己Yoshida Masami

昔話から
しましょうか

ぼく、就職活動は全滅やったんですよ。大学に入っても、ぜんぜん勉強せんかったもん。なんとか親父のコネで印刷会社にもぐりこんだけど、8時半から仕事が始まるのに、8時29 分にくる社員やった。3年で辞めて、福岡県にある金融会社に転職。これも人を幸せにする仕事とちがうなあと思って、1年で辞めてしもたんです。

28歳のとき
親父から900万借りて

金融会社を辞めて大阪に戻って来たんやけど、やることもないからプラプラしていたら、税理士をやってた兄貴から「おまえ、お好み焼き屋でもやれ」と。親父から900 万円借金して、始めてみたら、ものの見事に半年でつぶれた。
理由ですか?毎日のように友達が誘いにくるんです。「麻雀しよか、飲みに行こか」って。それで店をとっとと閉めて遊びにいく。今考えたらまともに商売になるはず、あらへんね。

もう一回
再チャレンジ!

もう一回やりなおそうと、性懲りもなく、もう一回お好み焼屋やったろ、と思った。でも大阪はあかん。友達だらけで、また失敗する。それで一人で東京へ出て来たんです。大手お好み焼屋チェーン店でバイトしながら、ノウハウを身につけた。同時に物件探しをしたんやけど、これが大変。当時は29歳の若者に貸す物件なんてない。困り果ててたら、たまたま通っていた麻雀で知り合った人がええ人で。ラッキーなことに、その人の縁で、物件を紹介してくれた。ぼくが29歳の時ですわ。

29歳のとき
原宿にTENをオープン

鉄板焼「天」も最初は「10」という意味やった。当時オリンピックの体操でルーマニアの妖精と呼ばれる選手が10点満点を連発しとった。それをテレビで観ていて「10(テン)」ってええやん、と。そのうちにTENは「天」のほうがええなと思うようになって「天」といえば「星」やろ、と。それで社名が「テン・スターズ」。ちょっとええ加減やな。

最初は全然ダメ!
でも…

オープンしたものの、最初はさっぱりお客さんが入らんかった。当時はランチもやったりしていて、途中でご飯切らしたり。しょうがないから向かいの新聞配達所に行って「すんません、ご飯分けてくれませんか」って。もう、めちゃくちゃですわ。そんなこんなで、メニューと食材とかいろいろ試したりして1年ほどしたら夜に来てくれるお客さんが増えてきた。

お好み焼き屋から鉄板焼へと
変化!!

がむしゃらに仕事をしているうちにお客さんも増えて、常連さんもついてきて、お店が賑やかになってきた。ちょっとずつ儲かりだしたんです。業態もお好み焼から「鉄板焼」へと変えていった。8年目かな。2号店をオープン。これが大ヒットで調子にのって3号店も出店。

5000万円借りて
カラオケ屋オープン!!

その頃は毎晩のようにお客さんたちとカラオケ遊び。「毎日金払うんやったら、自分らでカラオケ屋やろか」と盛り上がった。「よっしゃ、やってまえ」言うて、5000万円銀行から借りて店出したんですよ。

バブルが弾けて
どん底に!

銀行からお金借りて、カラオケ屋オープンして、もっと行くで!と思ってた矢先ですわ。バブルがパーンってはじけてね、全部パーですわ。笑 ほんま、人生何があるかわからへん。でもがむしゃらにやるしかない。

どん底なのに
中華レストランオープン!

バブルが弾けた後も、ずっと好調だった流れから抜けきれず、懲りもせずに銀座に中華料理屋をオープン。これが全然あかんかった。お客さんは来ないし、料理長とスタッフも喧嘩ばかりやし。1 億円もかけたのに赤字続きでしんどかったわ~。笑

ここで生まれた
吉田雅己のまあええか

これまで曲りなりにも商売になってきたのは、どうやったらお客さんが喜んでくれるのかを考え続けてきたからやと思います。「楽しい、おもろい、また来よか」と思ってもらうには、美味しいだけじゃなくて、お客さんに楽しんでもらわんと。そのためには、まず自分らが笑って楽しむこと。「商売」は「笑売」なんです。くるしい時、つらい時こそ、僕はこう思います。「まあええか!」同じつらい状況でも、悲しい顔しながらしんどそうに過ごすより、笑いながら過ごした方が得じゃないですか。楽しかったらなんとかなるやろ!笑いながら頑張りましょか!

新たな試み!
新卒採用

それまで職人気質の料理人ばかりが集まった会社やった。でも、このままじゃアカンと。このままじゃ会社は大きくなれないと感じて、初めて新卒採用をはじめたんです。うちが欲しい人材は料理人じゃなく、人を笑わせられるエンターテイナーな商売人や。10年以上かけてフレッシュな人材を集めて、会社も大きくなって今のテンスターズダイニングがあります。みんながうちを選んで入社してくれたんやから、みんなが喜んでくれる為に働きやすい環境をととのえるのが僕の仕事です。

人生も会社も
山あり谷あり

お店立ち上げて、失敗して、また頑張って立ち上げて、今度は上手く行って。ほんま、人生山あり谷ありやと思います。今やから笑えるけど、当時はほんとに辛かったんですよ。でも大事なのは「まあええか」の気持ち。お客さんを楽しませたい、笑いながらがむしゃらに頑張れば、なんとかなるって思いながらやってます。

今度は僕が
みんなの親父になる番や

社長になりたい人には、社長をやらせたい。店をやりたいやつには独立支援をしてあげたい。しかも会社のお金で。ほんまにそう思います。僕はボンボンやったから親に借金して保証人になってもらって、この会社をはじめた。それを今度は、みんなのために、僕が親父の代わりになったろう、と思っています。でもそのためにはまず、現場を知らないと。
だから最初は、皿洗いもやれば、トイレ掃除もやってもらいます。飲食業は人がすべて。やる気のある人さえいれば、なんぼでも店は出せる。これから大きくしていこうという時期だから、出来上がった会社に入社するよりも、おもしろいのとちゃいますか?

MESSAGE

わたしたちの
商売哲学は「笑い」

単身、大阪より上京し、日々生きていくことに必死な状態から事業をスタートしました。そこから生まれた私たちの商売哲学は『笑い』です。創業以来、大切にしてきたのはエンターテイメント性やワクワク感。厳選した食材を使うのは当たり前。内装にお金をかける店も星の数ほど存在します。だからこそ、私たちは“人間力”にとことんこだわってきました。おいしい料理を食べるだけなら家庭でも簡単にできます。それでも人々が私たちの店に足を運んでくださるのは、料理とともにお客様それぞれに合った最高のサービスを提供し続けてきたからだと自負しています。

お好み焼1枚でも
最高の気分に
なってもらいたい

飲食業とは「恋愛」だと思っています。相手のことをよく見て、どうすれば喜ばせられるかを考え抜くこと。関係を長く続けるには、押し付けはいけません。当社が40年近く続いてきたのは、「お客様にはお好み焼1枚でも最高の気分になってもらいたい」「客単価が千円でも1万円でも、同じ気持ちでサービスする」という姿勢をスタッフ全員が貫いてきたからだと思います。そして、もう一つ忘れてはならないのは「笑いながら仕事をして、お客様にも一緒に楽しんでほしい」という信念です。常に笑顔を忘れず、“飲食サービスのブランド”として誇りを持てるよう、私たちは今日も邁進しています。

これまで、いくつも
失敗してきたけど、
いつも笑ってました。
「まあ、ええか」いうて。
楽しいから笑うやなく、
笑うから楽しくなる。
楽しかったら、
何とかなりますもん。

吉田雅己